和歌山出身の小久保裕紀監督 家族も有名

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息子さんと娘さんも活躍してる小久保裕紀さんは、和歌山県和歌山市出身の元野球選手で、侍ジャパンの監督も務め、見事に準優勝をおさめました。

ここでは、小久保裕紀さんと子供さん達に迫って行こう思います。

小久保裕紀さんはどんな人?

1971年10月8日生まれの小久保裕紀さんは、幼少期は柔道部でしたが、小学1年生から母の勧めで野球を始め、プロ野球選手を目指し、和歌山県立星林高等学校から青山学院大学へ進学。

高校時代は甲子園への出場は出来なかったが、大学時代に日本代表としてバルセロナ五輪に出場し見事銅メダルを獲得しています。

1993年には、逆指名で福岡ダイエーホークスへ入団(背番号9)、その後読売ジャイアンツ(背番号6)、福岡ソフトバンクホークス(背番号9)へと移籍。

読売ジャイアンツで主将を務め、福岡ソフトバンクホークスでも主将を務めています。

大学時代は三塁手でしたが、プロ野球に入団してからは、右翼手、二塁手、三塁手、一塁手で出場し、二塁手と、一塁手ではゴールデングラブ賞を受賞の大活躍です。

2012年には、2000本安打を達成し、「名球会ブレザー」が贈呈されましたが、「統一球で打球が飛ばなくなった」と引退もしています。

2013年~2017年まで日本代表の監督を務め、

2021年には福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチを務め、2022年からは二軍監督を務める。

2024年シーズンから、福岡ソフトバンクホークス一軍監督です。

息子さん(小久保直紀さん)

小久保直紀さんは、1997年2月4日に生まれ、野球選手の小久保裕紀さん(父)とは別の道を歩み、アメリカへ留学。

シンガーを目指す為、アメリカの学校「アルフォード・アカデミー」にてレッスンを受け、ギターでオリジナルの制作も始め、帰国後は本格的にヴォーカルレッスンを開始されました。

その後上京しライブ活動中にスカウトされ、2017年9月26日のソフトバンク、ロッテ戦にて国歌斉唱を担当されました。

曲も発表されており、優しくもはっきり聴こえ、印象に残る声をされてます。

※YouTubeにも上がってます。

娘さん(小久保春菜さん)

1999年3月29日生まれの小久保春菜さん。

2023年、ミス・アース・ジャパン 日本大会が行われ、東京代表で出場された小久保春菜さんが、約2000人の中から2位(ミス・エアージャパン)に選ばれました。

ミス・アース・ジャパンは、世界四大コンテストの中で、数千人もの応募があるコンテストで、環境保護への意識向上を訴える事を目的とし、世界的に広がりをみせてます。

今では80カ国以上参加しており、世界規模で美の祭典へと広まってます。

そんな大きい大会で、1メートル70センチのスレンダーボディーで見事2位に輝き、

「一番に父に伝えたい」と声を弾ませてました。

現在は会社員として働き、フリーでも司会やナレーターの仕事を行ってます。

まとめ

小久保直紀(息子)さんの曲、(Spark)を、千葉ロッテマリーンズの小野郁(おのふみや)投手が、入場曲に使用。

小野春菜(娘)さんは大会前日に、父と電話で話し緊張のほぐし方を聞き、結局効果はなかったそうですが、プロ通算413本塁打を誇る父を「良きライバル」と言ったり。

お二人が父親の背中を見て育ち、挑戦を続けた結果が出る中、

小久保裕紀(父)さんが、ついにソフトバンクホークスの一軍監督に就任され、まだ挑戦を続ける父親の背中を見て、お二人も挑戦して行ってほしいですよね。

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